自分で呪縛していた呪いを自分で解いた 「哲塾 WEB研修 第二講」

大きな気づきに、たどり着いた。

行徳哲男先生の「哲塾 WEB研修 第二講」を受講して、なぜか、どっと疲れが出てきた。

そして、なんともいえないモヤモヤを感じていた。

「深刻と真剣は違う」

「深刻なフリをして悲劇に浸かっていないか?」

「思考するから、迷う。考えるから、未来を恐れる。今ココから離れてしまう。」

「思考するのではない、感じることだ」

研修にて、行徳哲男先生から発せられた言葉。

44年、思考で生きてきた私にとって衝撃であり、1年前のLPL養成講座でも「思考でなく感じる」は、私のテーマだ。

しかし、まだ、思考で理解しようとしている。

というのが、身体から抵抗反応があることに気づいた。

猛烈に、緊張した研修の時間なのに、眠気が襲ってきたのだ。

思考が「聴きたくない」のだろう。そこで、聞くのでなく、身体の腹で感じるようにした。

「感じる」を考えていたのだ。それじゃ、感じれないわけだが。まだ、「感じる」「感性で生きる」には、程遠い。この気づきに出会えたのが良かった。

それと、もう一つ、研修の後に「受講しての気づき」を書いて提出したときに、「あ!」と気づきが、降ってきた。

私の名前は、信仁だ。(どういう、おもい があって親が名付けたのか、実はハッキリ聞いたことがない)

わたしの中で、この名前に囚われて、呪縛で自分で自分を縛っていた。

どういうことか?

「仁義を信じる」と、自分に刷り込んでいた。今まで44年ずっと。

仁義を信じる、確かに素晴らしい言葉だ。しかし、「あなたの」仁義を信じる、なのだ。「わたしの仁義を信じる」とは、これっぽっちも、思わず、「あなた」と外の世界ばかり見ていた。

他人軸。

スタート地点が他人軸。

はははははははは、なにしてんだか。

自分が全くない。

ここに気づいた。

そこで、自分軸で、自分を愛して感じて出てきたのが、下の言葉だ。

「自分の中にある、慈しみ、おもやりを信じる」

これが「信仁」である。

生きていて初めて自分中心で感じれた瞬間かもしれない。

この記事を書いた人

大東 信仁

カンパチが好きです。

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