心の学びの道に入るきっかけは、”母からの愛”が欲しいだった

「ただ一緒にいて欲しい」「僕のことを見て欲しい」

大人になった自分の奥で、ちいさな子供の僕が暴れていた。

暴れているとも、わかっていなかった。

2017年、フリーランスのWEBコンサルタントの仕事も順調なはずなのに、なにか上手くいかない感覚の中だった。

そして、立て続けに仕事でモヤモヤすることが起きた。

僕は「たまたま、相手の方との相性が悪かった」と、思っていた。

それ自体、自分を見ない回避行動なのだと、だいぶ後に気づくわけなんだけど。

小百合さんに、こんな仕事のやり方を続けるのは嫌だ、と泣きながら、べそをかいたりしていたら、

小百合さんから「なんかしんどそうだから、健介さんの(カウンセリング)セッションを受けたら?」と言ってもらい、申し込んだ。

健介さんとは、元々はエンジニア経営者さんだったが、カウンセラーの学びを積み上げて、カウンセラーになられた。詳しくはこちら。

今、振り返ると、この申し込みしたことで、いままでの人生で繰り返していたループから出た気がする。が、当時の自分は全くそんな感じはしていなかった。

2017年 梅雨時だったか(記憶があやふや)ぐずついた天気のセッション当日、僕の体調もグズグズで、しんどかった。正直、セッションに行くのもキツイ体調だった。ただ、ここで、やめるのも、なんだか、という感じで、セッションへ思い足取りで向かった。駅からの歩いている光景はよく覚えている。

セッションでは、ホッとした雰囲気だった気がする。

話を聞いてもらい、

椅子のワーク(エンプティチェア)から、家族の椅子を置くという形になった。

当時の僕は、その椅子の配置の意味を考えるばかりで、まったく感じてなかった。

そんな中、セッションをファシリテーションしてもらい、だんだん見えて来たのが、

母の椅子が端の方になり、自分を向いてくれていない、そして、それを気にしている自分

だった。

感じるというより、まだ、理解する、だったけれど、

それでも、今、自分の内側では、この母親を振り向かせようとしている自分に気づいた。

そして、その振り向かせよう、を、母親と同じように目上の女性の方々に、無自覚にやっている自分をわかることができた。(これが、心理学での転移とわかるのは、だいぶ後のお話)

その関係性の中で、クライアントさんと、僕の、境界線(バウンダリー)が適切に引けていない構図が見えた。

ファシリテーターの菊地健介さんから、

「今の苦しい状態から緊急避難でもいいからしていかない?」という感じで、

バウンダリーを引き直す、つまり、アサーティブに「NO」を伝えることの重要性を説いてもらい、セッションが終わったあとに、伝えることに。

セッションが終わった後、地下鉄に乗る前に、ポケットから、iPhoneを取り出して、メッセンジャーを開き、クライアントさんの要望の中で、できること、できないこと、を丁寧にお伝えする文章を書いた。

このとき、指が震えて、なかなか文字を、書けなかったのを覚えている。

それぐらい、怖かった。

クライアントさんが怖いのでなく、

母親にNOを言うのが怖かった。

しかし、この行動を起こした後、クライアントさんからの返事は拍子抜けするぐらい「そうですよね」だった。

完全に、僕の一人相撲。

世界を自分の視点だけで、解決しないと、と、躍起になっていた、ということがわかった。

そして、セッションの中で、家族の中で、境界線(バウンダリー)が、もつれ、絡まっているのが、見えたので、そこは、次回のセッションで、との流れとなった。

LPLワークショップを2018年に受けるタイミングで書いたブログ記事でも、このセッションのことを触れています。

が、文章を読み直すと、思考でなんとかしよう、と必死な自分ですね。こういう時間軸の移ろいも感じれるのがブログのいいところ。

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