「わからない」を言ってはいけないと、思って生きていた。

頭で理解することが大切。その価値観を大切に45歳まで生きてきた。

大学では、「わからないことをわかるようにする」ために、研究に取り組んでいた。(今、振り返ると、”わからない”ことを”わからない”と感じるために、研究する道もあったと感じている)

会社員時代は、「わからない」と言うと、「わからないのは怠慢」「わからないをわかるまで根性出せ」と、責められる日々だった。(これは、僕自身の中にある「わからないはいけない」という価値観があるから起きていた現実だろう)

フリーランスで独立してからのコンサルタントの活動でも、「わからない」は禁句であり、”わかるまでとことんやる”という姿勢だった。

一時期は、MacやiPhoneの単語登録に「わからない」で、「どういうことですか」「NGワード」と登録していた。

こんな感じで「わからない」と入力すると、候補が出る。

でもね、

わからない自分も自分なんですよね。

「わからない」を「わかろう」という探求は良いのだけど、僕はやりすぎていた。「わからない」をダメと思っていた。

そうなると、「わからない自分」もダメ、と思っていて、自分にダメ出しする流れを作っていた。

そりゃ、日々、しんどくなるわけで。

下の記事に書いたように「ありのままの自分を、受け入れる」と感じたら、

「わからない」にとどまることを感じることができ、「わからない自分」を責めず、自分に優しくなれたんですよね。

なので、「わからない」のもいいんじゃないか、そう思えて、「わからないと自分の価値がない」という思い込み(ビリーフ)が、緩んで、「わかる」「わからない」どちらでも、自分だなぁと、感じるようになりました。

2023年を振り返ると、この気づきのプロセスが動いたのは、

LPL 16期 平日コースのGLグループリーダーでの関わりが、大きいです。

そして、それに加えて、

岡山の呼吸道に参加して、思考が自分を支配しようとしていたのを感じ、手放し、思考もからだも、自分の一つ、となったこと、

もう一つ、宮古島のリトリートにて、「身構えて生きていた」自分に気づき、それを緩めても生きていける自己信頼に繋がったこと、

これらの3つが混ざり合って、自分の中で、自分を感じて、自分を信じて生きる道を歩けるようになったんだなぁと、感じています。

Keep it real. 軽く生きよう~

記事タイトルとURLをコピーする

\17人の方が登録中/