感情を僕は見捨て、思考のみで生きようとしていた

思考だけで生きることが、大人だと思い込んでいた、40歳を超えるまでは、それでなんとかなると思っていた、けれども、人間だから感情もある、なのに、感情を感じず、認めず、頭の思考で感情をねじ伏せて生きるのが、自立した大人だと勘違いしていた。

感情を育てずに大人になっている

2023年3月に参加した久高島の呼吸道にて、清水友邦さんの言葉がこちら(記憶から書いてるので、正確な言葉と違うけど)

思考を使う教育を、親から学校から教えられて、思考のみ成長している。一方、感情は3歳から4歳ぐらいで成長が止まっている。だから、大人の今、感情をどう扱っていいか、本人がわからない。理性的な人が、急にキレて幼い感情を爆発するのも、感情が育ってないから。

あ、自分だ。そう感じた。

どう自分の気持ちを表現していいか、わからない。だから、溜めて溜めて、もうダメ、、となったら、感情を爆発させて。

もう一つ、カウンセリングセッションのファシリテーターをやっていた時に、クライアントさんがエンプティチェアに座り感覚と繋がったタイミングで、涙が出てきたところで「なんで涙が出るのかわからない」と言われた。

そう、感情を置いてきぼりにする教育と価値観を、多くの人は、「大人とは、幸せになるために、」と刷り込まれていないか?

だから、今の日本は、重い雰囲気に覆われていないか、と感じる。

僕は、感情を見捨て思考だけを育ててきたのが、35歳までの人生だった。

35歳で、「もう限界だ」と双極性障害 発症という、めっちゃわかりやすい、というか、ちょっぴり乱暴なメッセージを、からだは発してきた。

鬱病やメンタル疾患が多いのは、感情を抑えて、思考のみで生きている、というか、それが社会の中で生きるために大切と思い込んでいるからと、思う。(もちろん、思い込みが悪いとか、感情を置いてきたのが、悪いとか、ではない、ただ、感情を取り返す権利は、誰もが持っている)

僕が、完治しないと言われている双極性障害を寛解からいまは、完治と自分で言い切れるコンディションになったのは、

感情と出会う、こころの学び(トランスパーソナル心理学)に40歳で、出会ったから。

35歳から40歳の5年間は、こころの学びに取り掛かれる自分への準備期間だった。アドラー心理学と出会い、独学で学び、認知療法で回復できた。アドラー心理学では、思考からの感情を味わった。

それがあったから、LPLで、さらに、からだからの感情の道(からだの声を聴く)を歩く勇気を持てた。

感情を育てると、自分の中で、自分を感じる余裕ができて、荒れ狂う自分に振り回されない人生へシフトした。

自分への愛なく、感情は育たない

そうやって、少しづつ、感情と向き合い、感情を育てきた。

思考を育てるのは、外の世界にある答えを求めていくことで、できた。

一方で、感情を育てるには、自分自身の、嬉しさ、楽しさ、怖さ、悲しさ、全ての感情を丸っと、自分自身が愛して抱きしめていくのが必要だ。

楽しさだけ、とか、一方の感情はイイけど、片方はダメ、とすると、それは、思考の力で感情をねじ伏せている。

これが、自分への無意識のジャッジメントとなり、他人へのジャッジメントとなり、投影が起こり、望まない展開を自分の世界のスクリーンに映し出す。

心理学の言葉で、表現すると、「感情を育てる」のは、「投影」を徹底的に見ることである。

会社や家庭の人間関係で、苦しかったり、なぜか嫌なことが起きると感じるのは、投影が起きている、といってと無自覚で発動しているので、気づくのが難しい。

なので、カウンセリング•セラピー セッションでは、自分で気づきにくいところを、一緒に探求していくのを、サポートするわけです。

特に、組織や会社のリーダーの人は、この投影が同時多発的に起きる。

このメカニズム、歯車があるから、

「リーダーは孤独だ」「誰もわかってくれない」と、感じることで、思考が自分を守ろうとする。

「孤独だ、誰もわかってくれない」その思い込みは、本当ですか?絶対に本当ですか?

全ての人が、感情は持っている。でも、水遣りをしてこなかった。大人になってからでも、感情を育てることは、できる。

上の写真は、2023年3月 呼吸道ワークショップで訪れた久高島。

感情を感じることで、時間の感覚が変化した

自分の中で、感情を感じるようになり、あああああ、と感じたのが、「時間」に対する感覚が、変わった、こと。

いままでは、本当に、なんだか、時間がビュンビュン過ぎていく感覚だった。

これが、時には、ゆったりとしたリズムが感じれる時もある。

時間を守らなくちゃダメだ、から、時間の中でやりたいようにやっていればイイ、と、感覚が変わってきたのかな、と、自分と対話していたら、

もっと、根っこのところが、見えてきた。

それは、11年前の頃、双極性障害の治療中の頃、何もできない自分だったし、時間が過ぎれば病気が治るのなら、とっとと、時間が過ぎればいいのに、と、思っても、なかなか時間が経たない。

2時間ぐらい経過したかな?と、時計を見ると、5分も進んでいなく、ショックだったのを強く覚えていて、いままでは、一言で言えば、時間を粗末にしていたなぁと。

時間を意識すればするほど、時間に追われる。

時間を意識しないで、過ごすと、時間のリズムの中で余裕も感じる。

時間術のやり方でなく、自分自身の在り方が大切で、その在り方には感情も思考も両方が大切な存在なのだなぁと思った。

Keep it real. 軽く生きよう~

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