心理的安全性という言葉の誤解

岡部明美さん LPL養成講座 15期がスタートした。認定試験を経て、グループリーダー(GL)で参加中だ。12月まで、7か月の期間、参加者さんと共に、自分の内側を見つめて人間力の成長、Being(在り方)を育む取り組みをおこなっていく。

第1講の2日間を終えて感じたのが「一人一人を大切に宝物のように、しっかりホールドしてくれている安心感」は、グループリーダーさんの包容力だったと僕は感じて、一人、涙を流していた。

参加者として体験した、13期・14期を振り返ると、本当に色々なことを経験した。

心の学びの講座で、よく出てくる言葉が、心理的安全性。

僕の経験で、色んなことを経験したと書いた中で、何が起きていたのか、振り返ると、「自分を我慢したり、逆に自分はこうであらなければならない、」と、人生の中で、無自覚に学んだ自分を抑えつけているパターンに気づき(自覚化)、それをもしやってみたらどうなのか、を少しづつ怖いと感じながら、トライを重ねること。

なので、心理的安全性=自分が安心できる・ホッとできる だけではない。無自覚な自分のパターンに気づき、新しい選択の行動ができる、時には、自分にとっては、とてもツライし耐えきれないという感じすら起きる。それでも、抱きしめてくれる場だと、僕は思う。

無自覚だけど、今まで自分を抑えつけているパターンは、自分にとってとても大切にしてきたパターンだったり、このパターンでないと自分を守れないからと、そこまでは大切にしてきた、宝物のようなもの。それを手放すときには、元に戻るエゴの力が凄まじいぐらい強く働き、世の中はこんなに辛いのか、厳しいのか、と打ちのめされる感覚すら出てくることもある。

自分も振り返ると、13期の受講中に、「自分を変えたい、だから、LPLから学び、違う自分になるんだ」となっていた。まぁ、今、書くと、穴を100mぐらい掘って、入りたいぐらい恥ずかしいだけど、当時はそうすることが、変わることと、勘違いしていた。

変容の逆説的な理論「人は、自分でない者になろうとする時ではなく、ありのままの自分になる時に変容が起こる」を、当時の自分に100回くらい読み聞かせたいのだけど。

そうすると、本当にしんどいことも、たくさん同時に起きた。「全然、心理的安全性、ないじゃないか」と自分も思っていた瞬間があった。自分の抑圧していた自己信頼を感じ始めたときに、逆に、自分の主張をどう伝えていいのか、やったことがないからわからず、伝えたいのに伝わらないもどかしさや、えいやっと無茶な伝え方をしてトラブルになったりもした。

道路の工事現場のガードマンさんの言動が、自分を大切にしてくれてない感覚があったときに、自分の中にモヤモヤしてきた感覚を信じて、言葉を伝えたら、喧嘩になったこともあった。今、振り返ると、子供時代に家族に自分の意見を言えなかった未完了の感情をそこで発露していた。ガードマンさんからすると、いい迷惑だけど。そうやって、世の中お互い様と、後々、気付けた。

でも、それは、自分を被害者にして、自分を守っていることだった。

自分の場合は、一緒に受講していた、さゆりさん1と、話すことで、自分の被害者ポジションを選択していることに気づき、少しづつ、無自覚なパターンに気づいて、少しづつ、新しい自分のBeingへ進むことができた。

ゲシュタルトの祈り

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

フレデリック・パールズ

何が言いたいのか、まとまらなくなったので、この記事のきっかけにもなったし、すごくわかりやすく説明されている、大塚あやこさんのFacebook投稿を読んでほしい。

  1. 岡部明美LPL養成講座 認定心理カウンセラー/セラピスト https://www.facebook.com/sayuri.umemura.9