アウトプットの知的生産とは?を考えた -梅棹忠夫と21世紀の「知的生産の技術」シンポジウム-

2014年5月6日に大阪 梅田 ナレッジキャピタルにて開催された”梅棹忠夫と21世紀の「知的生産の技術」シンポジウム”に参加しました。

京大型カードに、思考をまとめて書きました。それを元に考えを整理して記録します。

知的生産とは

知的生産とは精神衛生の問題である。

なぜ、Macでの作業が心地よいのか?親指シフトでの日本語を綴ることに魅かれているのか?腹落ちした。

静けさこそ、人間が「知」を発見する状態

考える必要のない知識の利用とは

考える必要なく知識が利用できる時代かもしれない。しかし、その知識はどこから来るのか?情報・知識の受け手と発信者の壁ができているのではないか?そしてその壁は乗り越えられない高さになってしまうのではないか?

忘れるために記録する

記憶を記録し、記憶が記録を呼び起こす。忘れるために記録を続ける、これこそライフログではないか?

それには自動でないと記録できないことがある。「記録しようと気づいても、過去になっていること」があるから。

誰でも読めることの価値

誰でも読める形にきれいに書き留めておく方法が「要」ではないか?これはブログという形と相性がよいのではないか?誰もが情報発信できる時代になったからこそ、博物館学を学び情報を伝えることの方法を求め続けることが大切なのではないか?

「系」

いままでは知の探求に「系」という分類があった。今はその意味が変ったのではないか?分類するものでなく、探求する中心に「系」が必要になっていることに気づいているのか?

2014年05月09日23時08分39秒

補足:京大型カード

「京大型カード」は一般には”京大式カード”と言われていますが、これは製品名らしく「型」と言うことのようです。

梅棹忠夫先生が、試行錯誤を繰り返してB6サイズの情報カードにたどり着いたようです。詳しくは下のリンクをご覧ください。

京大式カード – Wikipedia