心理的安全性という言葉の誤解

心理的安全性を感じたLPL養成講座

LPL養成講座を13期・14期と受講し、認定試験を受験・合格した後、講座の参加者さんをサポートするスタッフ(LPLでは、グループリーダーと呼び、略称 GL ) にて、LPL15期・16期と関わってきた。各期、7か月の期間中、参加者さんと共に、自分の内側を見つめて人間力の成長、Being(在り方)を育む、取り組みをおこなっていく。

2022年・23年の15期・16期のグループリーダー活動は、この2年間で僕にとって一番大きなプロジェクトであり仕事であった。

参加者として体験した、13期・14期を振り返ると、本当に色々なことを経験したを思い出すと同時に、「一人一人を大切に宝物のように、しっかりホールドしてくれている安心感」は、当時のグループリーダーさんの包容力だったと僕は感じて、一人、涙を流していた。

心理的安全性=全ての感情が起きていい

心の学びの講座で、よく出てくる言葉が、心理的安全性

いや、今では組織や会社の中でも、心理的安全性のキーワードは目にする。

そんな講座を振り返り、自分の内面で起きていたのは、「自分を我慢したり、逆に自分はこうであらなければならない」と、人生の中で、無自覚に学んだ自分を抑えつけているパターンに気づき(自覚化)、それを、もし、やってみたらどうなのか、を少しづつ怖いと感じながら、トライを重ねること、だった。

自分の知らないことをトライするときは、怖さを感じる。

心理的安全性=自分が安心できる・ホッとできる だけではない

無自覚な自分のパターンに気づき、新しい選択の行動にチャレンジするとき、場合によっては、とてもツライし耐えきれないという感じすら起きる。

それでも、抱きしめてくれる場が、心理的安全性だと、僕は思う。

感情に良い悪いはない、逆に今まで抑えつけていたパターンというのが、「良い」ことだけを選んでいた可能性すらある。

全ての感情が起きていい、何が起きても大丈夫、一緒にいるからね。と、抱きしめてくれている場が、心理的安全性だと感じる。

ありのままにつながる道

無自覚だけど、今まで自分を抑えつけているパターンは、自分にとってとても大切にしてきたパターンだったり、このパターンでないと自分を守れないからと、大切にしてきた、宝物のようなもの。

それを手放すときには、元に戻るエゴの力が凄まじいぐらい強く働くことも、僕は体験した。

世の中はこんなに辛いのか、厳しいのか、と打ちのめされる感覚すら出てくることもある。

振り返ると、13期の受講中に、「自分を変えたい、だから、LPLから学び、違う自分になるんだ」となっていた。まぁ、今、書くと、穴を100mぐらい掘って、入りたいぐらい恥ずかしいだけど、当時はそうすることが、変わることと、勘違いしていた。

変容の逆説的理論

「人は、自分でない者になろうとする時ではなく、ありのままの自分になる時に変容が起こる」(変容の逆説的理論)を、当時の自分に100回くらい読み聞かせたい。

そんなプロセスの中で、本当にしんどいことも、たくさん同時に起きた。

「全然、心理的安全性、ないじゃんかよーっ」と泣き言を言っていた自分もいた。

やったことがないから、わからない

自分の抑圧していた奥にあった感情を感じ始めたときに、逆に、自分の”おもい”や”主張”をどう伝えていいのか、やったことがないからわからず、伝えたいのに伝わらないもどかしさや、えいやっと無茶な伝え方をしてトラブルになったりもした。

今だから言えるのだけど、トラブル起こしちゃったのよねー笑

道路の工事現場のガードマンさんの言動が、自分を大切にしてくれてない感覚があったときに、自分の中にモヤモヤしてきた感覚を信じて、言葉を伝えたら、喧嘩になったこともあった。結局、お巡りさん登場、なだめられて喧嘩は大きくならずに済んだけどね。

今、振り返ると、子供時代に家族に自分の意見を言えなかった未完了の感情をそこで発露していた。ガードマンさんからすると、いい迷惑だけど。そうやって、世の中お互い様と、後々、気付けた。

被害者ポジションを自分で選択していることに気づくプロセス

自分の場合は、一緒に受講していた、小百合さんと話すことで、自分が被害者ポジションを自分で選んでいることに気づき、少しづつ、無自覚なパターンに気づいて、少しづつ、新しい自分のBeingへ進むことができた。

それは、自分を被害者にして、自分を守っている鎧の武装解除をちょっとづつやっていく道で、武器を置くのは怖いわけで、そんなときも、大丈夫一緒にいるから何があっても一緒にいるよ、と横にいてくれる人との繋がりが感じられるのが、心理的安全性。

ゲシュタルトの祈り

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

フレデリック・パールズ

何が言いたいのか、まとまらなくなったかも(笑

この記事のきっかけにもなったし、すごくわかりやすく説明されている、大塚あやこさんのFacebook投稿を読んでほしい。

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