ブログ記事を書いて、情報発信することが未来の人生につながっていく

ブログを書く目的は自由です。自分のためのメモとして書いても良いです。

しかし、インターネットで、いつでも誰でもアクセスできる場所に、「得た知識や経験」を書き記しておくことができるのが、ブログです。

ブログ記事での情報発信の可能性

自分のために書き留めていても、それと同じような問題に出会った人が、検索からその書き留めたブログ記事に出会える可能性があるのが、ブログです。

インターネットが世の中に出来る前だと、あり得なかったことなのです。

私もその可能性をはじめの10年は理解していなかった

その可能性について、私もインターネットに接してながら、はじめの10年間は、その本質を理解していませんでした。

単なる通信手段であるとインターネットを見ていました。しかし、検索エンジンの登場で、インターネットは、変わったのかもしれません。

必要としている、解決したいと思っている事柄について、インターネットへ「検索キーワード」を投げると、抽出できます。

そこには、時間も距離という壁もありません。

その結果、情報発信していたら、それまででは想像できなかった、「稼ぎ方」と出会えて、「自分のブランド」で生きることが実現していました。

自分のブランドで生きるが目標だった

自分の知識で稼ぎたい、自分のブランドで生きていきたい、具体的なビジョンはなかったのですが、この点は目指していました。

そして、インターネットと出会っていたけど、その可能性に気づいてなかった1998年ぐらいの段階で目指したのは、研究者でした。しかし、学閥という閉鎖的な雰囲気の中で、一生を過ごしていくイメージが持てなかったのですね。

留学する話が決まりかたのですが、タイミング的に流れました。留学先がイスラエルで、2001年の秋から行く予定でした。はい、ちょうど911テロが発生したのですよね。結果的に振り返ると、ビビりすぎだったのですが、当時としては、かなりのリスクを自分で抱えて行くことになる雰囲気で、迷っているうちに、その話自体が消えていきました。

そんな流れを感じて、大学院をドロップアウトして、今から成長するという会社とたまたま出会い、会社に勤めることになりました。

正直、びっくりするぐらい働きました。たぶん、世間の一生分働いたと、言っていいぐらい働きました。おかげで、5億円のプロジェクトも受注できました。(このときに、学歴が役に立つことも感じました)私が居なければ、このプロジェクトは受注できなかったと、今考えても、本当によく働きました。

でも、その結果、得たのは、完治しない疾患でした。双極性障害になっていました。

そこから、寛解までの数年間は必死の思いでした。とにかく、元に戻りたい。その一心でした。

同時に、こんなに頑張っても、マイナスからゼロに戻すだけなのか、という無力感もありました。

そんなときに、ブログの発信力の可能性に出会えた

そんなときに、自分のブログのアクセス解析データから、気づきがありました。なぜか、アクセスが増えているのですね。知り合い以外で、読む人が居ないと思い込んでいたので、びっくりでした。

「もしかしたら、誰かの役に立つかも」と書いていた記事が、検索から見つけて読まれていました。

そこで、ブログの可能性に賭けてみた

ブログの可能性を感じて、がむしゃらに書いてみました。そうカンタンに、結果が出るものではなかったのですが、徐々に結果が生まれました。

なにより、そこで試行錯誤した知識と経験が、今に活かされて役立っています。

ブログ記事に書いた「自分の知識」が、誰かの役に立つことへ、繋がっていく。

これ、ブログをスタートして、すぐに感じることは難しいのも事実です。しかし、書き続けていくと、そこに繋がっていきます。

それが繋がると、人生の道が、切り替わっていきます。

劇的な変化はない

私自身も振り返って、ある日突然、人生変わったという感覚はありません。ただ、徐々に変化していて、ふっと気づけば、アレ?変わっているじゃない。となりました。

書いた記事がそうやって、誰かの役に立つに繋がっていくには、熟成時間も必要です。

そのため、即効的な結果を求めると、挫折してしまうでしょう。

しかし、継続していくと、必ず繋がっていきます。この点については、経験もたくさんしてきました。もっと伝えていきたい、そう感じました。

この記事を書いた人

大東 信仁

カンパチが好きです。

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