言葉にまだならない、頭にあるモヤモヤしたイメージやアイデアを見つけて、そこから文章を起こしていくにはどのようなアプローチが良いのか、この点について、試行錯誤しています。
今までは、この作業もキーボードで文章を書きながら(親指シフトタイピングにて)行っていました。
この方法ですと、頭の中が整理されていることはスラスラ書けるのですが、まだ、未整理な感覚があることをターゲットにして書こうとした時に、手が進みにくい感覚でした。
実際には、頭のなかで整理できている話題より、未整理な話題の方が多く、その結果、書きたいのに書かずに通り過ぎてしまったことも一杯あります。
思考から生み出される、アイデアや発想、断片的な言葉は、順序なんて構わずに、出ては隠れ出ては隠れの無茶苦茶な状態で見つかります。
これを頭の中で整理してから取り出そうとすると、つかみかけたそれらのアイデア・発想・言葉が、まるで水が蒸発するように、消えてしまうこともあります。
そのために、まずは、思考を未整理のままで良いから、書き出して消えないようにしてから、全体を俯瞰して整理するために、この京大式カードを16年ぶりに購入しました。
デジタルなツールでも、書き出すことはできるのですが、僕個人の感覚では、デジタルツールだと、整理する段階で全体を俯瞰しにくく感じます。
久しぶりとはいえ、京大式カードに頭の思考をそのまま書いてみると、自分自身が考えていた概念が、言葉に変換することができました。このブログ記事も京大式カードを使って、思考をまとめました。
京大式カードといえば、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』です。
その中から、引用します。
文書をかくという作業は、じっさいには、二つの段階からなりたっている。第一は、かんがえをまとめるという段階である。第二は、それをじっさいに文章にかきあらわす、という段階である。
そして、梅棹先生の言葉はこのように続きます。
じつは、第一の「かんがえをまとめる」ということが、ひじょうにたいせつなのである。
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