「お前の文章はなんか独特だなぁ」
これは、僕が高校生のときに、親父に言われた言葉。
この言葉を、僕は、「お前の文章は変だなぁ」と解釈し傷ついた。
父親は本を読むのが好きで、そんな父親に「変な文章だ」と言われたと僕は思い、ショックだった。
なので、変な文章を書く自分はダメと思い、”文章を書く”ことを学び続けた。文章術の本を50冊以上読んで、学んだ。
今までを振り返ると、作文は嫌いだったが、自分の思うままに文章を書くのは好きだった。
小学校の作文は、何か求められているものを表現しないといけないと、思い込みがあり、なんだかしんどいものだった。
でも、中学校になると、自分を表現する機会が増えて、部活の年報誌に文章を書いたり、論弁大会に出たり、楽しんでいた自分も感じる。
それに、小論文で大学に合格した。鳥取大学の後期試験の2次試験は小論文のみ。(センター試験の得点が基準になっているのかもしれないが、)小論文を書くのは楽しかった。
ただ、このショックの気持ちを、今振り返ると、
父の期待に応えられない自分にダメとやっていた。
ありのままの自分へ、自分自身でダメ出しをやっていた。
もっと、評価される文章を、親父が変と言わない文章を、書くには、、とやっていた。
心の学びと出会う前の文章を読み返すと、なんだか硬い。(笑)
ChatGPTが登場し普通の文章をいくらでもChatGPTが書くのを感じていると、僕が独特な(変な)文章を書けるのは、素晴らしい才能だと、気づいた。
図と地の反転(今までの思い込みの枠の外を発見し、新しい解釈や世界と出会うこと)を感じている。
ありのままの自分については、こちらの記事をぜひ。