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深瀬さん 宮古島リトリート 4日目の気づき

午前中は、ワークとシェアの時間

そこで、自分自身の体験を言葉にしてシェアすると、

言葉にできるところと、言葉にならないところ、両方を感じる。

そして、言葉になってもならなくても、自分の中にある、という感覚で満たされていることに、気づく。

言葉にできるところを言葉にすると、

2日目の「なべ底」の体験から、自分の中に、「いつ何時不意打ちされるか、わからないから、構えておくこと」と神経を張り巡らして、生きていた自分に気づき、

本当に、頑張っていた自分を感じていて

いま、その緊張と頑張りから解放されて、背中が柔らかく呼吸している自分を感じている。

もし、この感覚を、思い込み(ビリーフ)の言葉にすると、

【自分が構えていないと、怖いことに対応できない】

【自分を守らないと、相手が蹴落とす。】

→ なぜなら、死ぬから

という感じで、ビリーフの言葉より、体感の「死ぬ」がからだに、刻み込まれていたのに、気づけた。

そして、もう一つ、

その「なべ底」は、僕を癒そうとはしていない。

ただ、ある。

僕を、包み込もうとしていない。

ただ、ある。

でも、その存在に癒される。

包み込んでくれる。

そう、カウンセラーのあり方(Being)につながる感覚、癒そうとするのでなく、ただ、居る、ただ、自分が存在して、共にいる、それを体感したと感じると、目から涙が出てきた。

この記事を書いた人

大東 信仁

カンパチが好きです。

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