幼少期の呪縛があることは、薄々気づいての参加でしたが、初日が終わり、熱い湯船で身体と心と頭脳の疲れを癒し、振り返ると、まさかの生まれた時の記憶が、潜在意識に深く刻まれていることがわかってしまった初日でした。
これ、自分では気づかないし、気づけない潜在意識の領域であること、そして、「わからないこと」がわかったという感覚です。
初日は、6人づつのグループに分かれて(このグループ分けで出会ったメンバーも、偶然なのに必然で驚きました)のワークショップだったのですが、あけみちゃんがファシリテート担当に恵まれました。
そこで、ワークに入るときに、呼吸を整えて、深呼吸を行って、マインドフルネスに誘導してもらったときに、それは起きました。
目を閉じていて、暗闇だったのに、縦に線が走って、真っ白に明るいイメージが見えました。
「えっ何?」と思ったら、心に浮かんできたのが、
「なんで、急に産むねん、自分の力で出ようとしてたのに、なんで、勝手に、断りなく切るねん」
だったんですよ。
実は、私、帝王切開で生まれまして、子供の時に家族から「あんたは、名前も運勢バッチリ、生まれた日も帝王切開で運勢が良くなる日を選んでいるから」と、言われていました。(この話は、すっかり忘れていましたが、このイメージを見た直後に思い出しました)
バーストラウマの記憶?というらしいです。
まだ、理解しきれていませんが、生まれるときに「自分の力で行動できなかった」という「未完了の感情」が、ある様子です。
それが、根っこに転がっているから、「自力で行動できなかった」「本当に欲しいものが手に入らない」や「もっと努力しなければ価値がない」というビリーフにつながっている様子。ドMな気質は、ここが大元なのかも。
あと、理論・ロジカル派のフリをしているけれど、めっちゃ直感派で敏感なタイプであること(これは前から薄々気づいていたが、まさかここまで直感派だとは、、)も、判明しました。
女性性が傷ついていると、あけみちゃんに教えてもらいましたが、まだ、ここは意味がわかっていません。わからないことが見えただけでも、価値がありました。
人のために自己犠牲で自分の価値を確認する人生から、自分のために行動し、その延長で社会に世界に貢献するための自己探求の入り口をこじ開けることができた初日でした。
ちなみに、OSHO Zen Tarot 初体験、引いたカードはこちら。
引くときは「何も考えずに一番上を」という気持ちで引きました。
色々と重荷を背負って、喜んでいるらしい。ドMです。
初日を終わった、今のタイミングで振り返って見たら、引いたときに、鳥が気になったとか、色々言っていたのですが、これはカードを直感で感じず、思考で無理やり自分に都合よく解釈して誤魔化して見ていたということが、わかりました。
参加直前に書いた記事はこちら。
この記事は、PressSyncにてiPhoneで書いてます。
追記
寝る前に、なぜか涙が出そうでなのに、出ないという不思議な感覚に包まれました。泣きたいのに泣けないのです。
自分の痛みを無視して、自分が傷ついていることを誤魔化して来たんだなぁと。
自分は、たくさん傷ついていることを、まず、認めてあげようと思ったら、寝れました。
自己犠牲の世界から、自己実現の世界へ変わりたいと、上に書きましたが、深層心理は「ちょっと、まだ癒していないでしょ、自分自身、自分を大切にしていないでしょ」とのメッセージでしょうか。