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WordPressブログを情報発信の礎として活動を継続すると人生の可能性が大きく広がる

8年前の2011年、私は人生が終わったなぁと。本当に人生を終わらせた方が楽なんじゃないのか?という感覚と、ここで投げ出すぐらいなら、もうちょっと翌年の桜ぐらいは見ておくか、と思いながら、毎日の時計の針が動くのを見つめていました。

絶望の底の時代

時計、いや、時間というのは相対的なモノなんだと感じたのも、この時でした。

たった5分が、普通の感覚の2時間くらい長く感じていました。

どうして、そうなっていたのか?

双極性障害の診断を受けて、就労禁止と診断書に明記されたからです。

働いちゃダメって、、。

絶望でした。しかも、症状が実は深刻で、私には、「2ヶ月療養しましょう」という説明でしたが、親族の親への説明は、「5年、いや、10年は、、」という説明だったそうです(後から知りました)。

2012年には、絶対治ってやる。となぜか、闘志が出て、かなり回復できて、2011年は、本も読めない状態だったのに、この2012年は、色々と動き始めることができました。(今考えると、軽い躁状態だったので、不安定な中、精一杯だったなぁ)と。

どうして、こんなお話をはじめに書いているのか?

どうしても、この部分を抜きに、私と情報発信、つまり、ブログの関係を語ることができないからです。

ブログは2004年

もともと、ブログは2004年から書いていました。当時は、niftyさんが提供するココログを使って、大学時代の友人に近況報告を行うツールでした。

つまり、情報発信という意識はなかったですし、想像できませんでした。

インターネットは1997年に出会っていた

インターネットとの出会いは、ラッキーでした。大学3年の時にメールアドレスをたまたま使うことができて、「これはすごい、連絡手段の革命」と感じました。

同時に、ジオシティーズにWebページを作って楽しんでいました。ただ、作ることに満足していました。

その延長線上で、ブログをやっていたため、不特定多数の人に読んでもらう発想がなかったのです。

2008年には独自ドメインを取得

ココログでブログを書いていましたが、同時に、様々なツール、WordPressも含めて、使うようになりました。

2008年には、独自ドメインを勢いだけで、取得もしました。(とはいえ、今考えると、独自ドメインの選び方はイマイチでした。この経験が今に活きるのですが

ここで、ココログのデータを独自ドメインへ移動させようと思ったのですが、技術的にハードルが高いことがわかりました。

自分の書いたブログ記事なのに、自分で自由に移動できないなんて。ショックでした。

その体験から、自分で自由にハンドリングできるWordPressの良さを理解できましたが。

2009年に今のブログを書き始める

2009年にこのブログを書き始めました。とは言っても、不特定多数の人に見てもらうなんて想像できず、知り合いに届くといいなぁと。そういう書き方でした。

そのかわり、ブログの記事を書いて、「公開」ボタンを押すときに、誰に読まれるのか、、という、プレッシャーも少なかったです。

2012年に、1日50PVもアクセスがあることに気づく

ここで、冒頭の2011年の翌年、2012年。

ブログの存在をすっかり忘れていたのですが、ふと、思い出します。

で、偶然、Googleアナリティクスを開いたところ、なぜか、1日 50PVもアクセスがあるのです。

どういうこと?と思いました。

調べると、保育園の卒園式の挨拶原稿のブログ記事が、読まれていました。

ここで、気づきます。

「探している人に、ブログ記事は届くんだ」

そして、タイミング的に、2012年は、ブログに広告を配置すると、マネタイズができるという点で、注目を集めだした年で、近くの書店さんでも、数冊ブログの書籍を見つけ、購入し、読み漁りました。

2012年の夏から、突如、ブログを書き始めました。動機としては、広告で収益化できるなら、働いたらダメと言われた私でも、なんとかなるかもしれない、、でした。

2013年 運命的な出会いを得る

不特定の人に向けて、情報発信としてブログを書き始めたものの、わからないことだらけでした。当時は、一人ぼっちでやっていましたし

そんな時に、大阪で開催されたイベントに参加したことがきっかけとなり、ブログを書く仲間の人たちと出会い、コミニュケーションする機会を得ます。

当時、ブログを書いている皆さんと出会った時に、感じたのは、

「なんて、目が輝いている人たちなんだろう」

でした。

その出会いのおかげで、さらに、多くの方と出会い、人生を劇的に変えるワークショップに参加することになります。

振り返ると、2013年はびっくりするぐらい多くの方と出会うことができました。

しかも、私のブログを読んでもらえたことで、会っているだけの限られた時間では、到底伝わらない範囲まで、たくさんブログ記事を通じて、知ってもらえました。

良い記事とは何か?役立つ記事とは何か?について向き合うチャンスも得られたのが、よかったです。

たくさんの記事を書き、この1年で1,400を超える記事を書けました。

ブログとリアルを繋げると可能性が広がる

この体験を振り返ると、ブログを書いているだけで、家に引きこもっていたら、ここまでの人生の変化は無かったと断言できます。

実際には、病気からの回復は、実は綱渡りで、ギリギリのところで踏ん張っていたのですが、たくさんの人と出会えたことが、さらに完治への道とつながりました。

ブログとリアルをつなげて、活動したことで、一人ぼっちだった世界から、たくさんの人と出会える世界へシフトできました。

ブログ記事のジャンルを絞らずに書いていたことが、メリットとなりました。

そして、さらにブログを書くことで、世界は広がっていきました。

2014年には活動をスタート

2014年には、今の仕事の原点であるワークショップ活動を梅村さんとスタートしました。

そして、どんどん活動を継続し、その結果をブログに書くことで、ブランディングを積み上げることができました。

ここも、活動だけを継続していたら、ブランディングできなかったです。

知ってもらうチャンスを広げるのに、ブログが大きな貢献をしてくれたからです。

もう一つ追記すると、稼げそう、という感覚ではなく、必要としてもらっているからやる、という感覚でした。

ドーンと大きな変化を感じることはない

よく聞かれるのが「(人生の変化で)どこで大きな変化がありましたか?」「いつ、突破したと感じましたか」と質問をいただきます。

振り返ってみて、思うに、大きな変化はなかったし、突破したという感覚もないんですね。

ただし、ブログに書いていたことで、振り返ることがカンタンにできます。戦略もなく書き散らしているのですが、それでも、その時その時に感じたことを書いているのは大きな財産です。

気がついたら、仕事として成立していた

スタートした時は「どうなの?」と言われていたようです。

もっとも、私本人は、それ以外に向かっていく道がなかったので、全く聞こえておらず、できことをガムシャラにやり続けていました。

「ブログのサポート」が仕事として成立していました。しかも、会社員時代より稼げています。

売上に余裕があれば、全力で投資を続けてきた結果、多くの方からご依頼いただけるようになりました。

ブログを介して、実践していること、提供できる価値を可視化できたから、ご依頼につながっています。

書き続けて、9年の時点で書いた記事はこちら

個人発信できるのが21世紀

個人が不特定多数の方へ、発信できるのが、21世紀の特徴であった。と後の歴史で記されると思います。

農業革命で、定住できるようになったこと、産業革命で、工業生産力が激増したこと、それ以上に、「個人が発信できること」が、世の中の構造を変えています。

個人の発信で、起きた変化は私だけではありません。事例はこちら

さらにスマートフォンの登場で、どこに居ても手の中にインターネットがあるから、さらに個人の発信の可能性が広がりました。

この21世紀に起きたこの革命の力を味方とするには、発信してこそです。

スマートフォンで、インターネットを使っていると言っても、他の人が書いた記事を読んでいる、つまり、情報受信サイドに居ると、20世紀の時代と変わりません。

発信してこそなのです。

WordPressが掲げている「Democratize Publishing」が目指している世界も、誰でもが発信できる世界なのです。

だだ、そんなWordPress、初期設定だけ、ちょっと難しいのです。残念ながら、そこをサポートする仕事を行なって、痛感するのが、スタートする所をクリアされると、本当にみなさん、楽しくブログを書かれているということです。

人生の可能性がなぜ、ブログを書くと広がるのか?

理由は、様々です。これを是非体験してください。

な今月(2019年3月)は、東京にて立花B塾主催のブログスタートアップ講座を以下の日程で担当します。

・2019年3月24日(日)10:00〜19:00

場所は、東京・六本木一丁目駅近くの会場です。

講座の詳細についてはこちら

一緒にこちらの記事もぜひご覧ください。

この記事を書いた人

大東 信仁

カンパチが好きです。

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