気がつくと、自分の感覚より、周りの大人の感覚を感じて生きていた。いや、感じるというよりは、理解していた、というところだ。
自分の感覚は置いてきぼり。家族の大人の感覚を理解して、それに応えて、「いい子」で過ごすことが、自分の中で大切な感覚になっていた。
両親や、家族が、それを強要した訳ではない。
そうすることで、自分の居場所を守っていた、サバイバル術だった。
なので、小学校でも「いい子」であることを軸に過ごしていた。
「いい子」は、他人の評価を気にする。なので、他人からどう見られているのか、どう行動するのが望ましいのか、自分の中を置いてきぼりになっていることに気づかないぐらい、周りの人に合わせていく。
小学5年ぐらいの秋に、休日に家族と出かけて、帰りの電車は満員電車だった記憶がある。その時に、すごく疲れて、帰宅する頃には偏頭痛で辛くなっていた。当時は、何がなんだかわからないけど、偏頭痛になって、しんどかった。
今、振り返ると、自分の感覚を抑え込んで、満員電車の中で、家族に「ダメなヤツ」と思われないように、必死で周囲の状況に合わせていたのかもしれない。