「日刊あおのうま Vol.1000」 エントリーをリアルタイムで見れた意味。2038年4月4日という日付

祝 日刊Vol.1000

日刊Vol.1000 を迎えられたこと、お喜び申し上げます!

DropS12

3年の時間の蓄積、ログ、文章、すべてが凄いことと感じています。このVol.1000はどのような内容なのか?気になっておりました。あえて、”淡々とした”日常の切り出しと予想していました。

Vol.10000 へ

見事に違うものでした。「ここからがスタートであり、Vol.10000 へ」でした。

「自分の”望むこと”に向き合っていく」印象的です。その向き合う姿勢をブログを通して「感じて・見て歩・聞けて」なんです。これほどすばらしいことはありません。

誰でも・後からでも読める場に文章を書くことは特別な意味がある。一人勝手に納得して魅力に取り憑かれているのが おおひがし です。

人生を自分の考えを持ち、眼が輝いている人から刺激を受け張り合いを感じ、己を見つめ直し、自らの方向を持ち進む。

「65歳」

書き続けているのか?この問いを自分にしてみました。「生きる努力をして書き続けたい」と思っています。去年に「生き続けて自分の持っている情報」を発信したい!がスタート地点なんです。私。

Vol.1

posterousにて日刊をスタート!と書かれています。

日刊 あおのうま を始めてみたよ | 極上の人生

記事注釈に書かれているように、posterousは2012年03月にTwitterに買収され、2013年4月30日にサービスが終了しました。凄いなと感じるのは、「極上の人生」にきちんと移されている、日刊の意味として、大切なことです。

2つのVol.7

Vol.7とVol.7.5と、まさかの小数点があります。Vol.7 情報の意味、Vol.7.5 論理的のバランスについての切り口が素晴らしいと受け止めています。

関連するのはこちら。

Vol.7

日刊 あおのうま Vol.7 | 極上の人生

「本当にすげー集まり」だと、2013年になっておおひがしが思ったわけです。適当に言っているのでないです。その判断材料になる参加されているみなさんの情報が書かれた上で、独特の切り口で書かれているからです。

「私的備忘録」が3年の時間にて、どのように熟成されたか。とても分かりやすいのです。

Vol.7.5

日刊 あおのうま Vol.7.5 | 極上の人生

”私自身「論理的な文章を書こう」なんて一秒たりとも考えておりません。”と。 これ、同じレベルで語られると気を悪くされるかもしれませんが、 私も似たような感じです。

続けて、このように書かれています。

ただ、この「楽」には落とし穴があって、 私自身は、「理」の裏にある「心情」や、 表に現れる色や形といった「感覚」、 「自身の持つ理」を超えた世界で展開される事象、 などに対応しきれない場合があります。 それは、とてもショックであると同時に大きな喜びを感じる瞬間だったりするのですが。

「ショックであると同時に大きな喜びを感じる」と、とても論理的思考つまり理詰めで書かれています。

境界線を見ながらの思考は論理的な展開であると、私は思っています。この論理的のバランスがとても興味深いのです。

2013年4月26日

AppBank梅田店オープンオフ会の日でした。@uma_blueさんと初めてお会いしました。@donpyさんからのご縁でした。論理的な思考と観察力をお持ちだなと感じました。

今日は日付が変わって、8月14日。110日しか経っていません。でも@uma_blueさんを通して、3年前に「本当にすげー集まり」があって、そこの参加した皆さんの考えを感じることができました。

だいたい言いたいだけの@goryugoさんの考えも知れました。@goryugoさんもブログを書かれているので、そこから、さらに多くを知れました。世界旅行中のぴよひこ氏は3年前からブレていないとかです。

これがどれほど凄いことか?どうでしょうか?

あれ、uma2x.comってなんか偶然?と今、気付きました。ドキドキ。とネタふりをしつつ、日刊 あおのうま Vol.7 | 極上の人生から引用しての終わりにします。

これらを「そんなの、どこかで聞いたことあるような話ばっかじゃん。www」と、 単なる嘲笑のネタとするか、 「あ!やっばりそうだよな!俺、間違っていないや!」 とか、 「む、そっち行くかー。じゃあ、こっちも対応策の用意せないかんなー。」 とか、 自身の行動の答え合わせに活用するか。 それは受け手次第だと思う。