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【祝10執念】ものくろぼっくす開設して10年 ありがとうございます

まだ、2013年の途中までしか書けていないけど、
公開しちゃいます。

このペースで書いていくと、完成が2019年12月9日を過ぎちゃう。

なので、リアルタイム更新で、どんどん記事の文章が増えていくのを楽しんでください。

追記

2019-12-10 9:20 -> 2014年のはじめを書きました。

2019-12-09 23:54 -> 2013年をやっと書き終えました。(今の時点で、10,700文字)

タイトルの10執念はタイポ(打ち間違い)じゃないのです。

自分の気持ちを表現すると、10周年より、10執念なのです。1年前の9周年の記事でも、「執念」がキーワード。

執念に関しては、こちらの記事で書いています。

10年前というと、2009年、平成21年です。

当時は、鳥取(の端っこ)に住んでいるヒラの会社員。

10年後に、東京に住んで、今のブログコーチ&Webコンサルティングの仕事をしているなんて、しかも、会社を設立して、社長になっている人生なんて、想像もしませんでした。

10年前は想像もできなかったことに、今、チャレンジできています。幸せです。

その世界に、シフトチェンジできたのは、ブログとWordPressと親指シフトの3つのおかげです。どれか1つが欠けていても、たどり着けなかったなぁと。

そして、ここまで、挑戦した自分を褒めてあげたい。よく頑張ったね。

ブログは、2004年にココログを使ってスタートしています。

2003年の日経新聞で、「アメリカで、ブログが流行っている」と読んだのがキッカケです。

ただ、ココログのデータ、引き継がなかったんですよね。

そして、2008年に、WordPressを使い始めました。バージョンが確か、2.6.3だったかな(記憶を元に)WordPressのバージョン履歴でチェックすると、合っていますね。

そのあと、Movable Typeを使ったり、Joomla!・Drupalを経験した後に、個人のブログだと「WordPressが使いやすそう」とスタートしたのが、2009年の12月9日の夜だったなぁと。今、チェックすると、水曜日なので、会社から帰ってきた後、夜に作業していたんでしょうね。

当時は、レンタルサーバーの費用も、安いサラリーからのお小遣いなので、1ヶ月あたり200円!で、ハッスルサーバーでした。ドメインは、2007年に取得していた monochrome-photo.info をそのまま。ドメインと内容がずれていても全く気にせずでした。(monochrome-photo.info ドメイン取得 2007-06-24だった様子)

情報発信の意味も、凄さも、全く知らず、鳥取の端っこで、レンタルサーバーに、WordPressを自分でセットアップできて、インターネットに自分の書いた文章があることに、興奮していました。

そこから10年。一瞬でした。今振り返ると一瞬でした。

ブログとWordPresと親指シフトを武器に「自分の力で生きる道を切り開けた」10年でした。

なので、10年という節目で、振り返ります。

2009ものくろぼっくすの原型となるWordPressでのブログを12月9日にスタート。1記事目で「何とか更新を続けて
いこう」と書いています。

iPhone 3GSが発売された年だが、ソフトバンクのみ。住んでいる地域は田舎でソフトバンクの電波は入らず。そのためにiPhoneは買わず。auの折りたたみ携帯だった。ただ、カメラにはこだわりを持っていて、EXILIMケータイ W63CAでした。

その折りたたみ携帯で撮った写真だけを掲載した短い記事もある。そう、こんな短い記事でも、残しておくと、10年経つと意味があるんですよ。記事の中に書いてなくても、「あの時の写真だなぁ」と、記憶が蘇ります。SEOとか検索順位より、大切なものがあるんです。

検索順位のために、記事を消したとの話を読むこともありますが、私はそれには同意できないです。

no indexで良く、記事は消さないポリシー。(余談ですが、1995年から2004年まで撮影したフィルム 520本のネガをとある事情で紛失しています。悔やみきれない)

話が逸れました。

書き続けるのに最適と、WordPressを2009年に選んだ自分が凄い。

当時は、Movable Type全盛期だったから。おかげで、今、WordPress専門家として仕事をしています。これに繋がる一歩のスタートでした。

この頃を振り返ると、自分の外側(家族・会社)を満たすことで、自分の価値をつくろうとしていました。それ自体、悪いことではないです。

ただし、私は、その時に、自分自身を置いてきぼりにしました。自分のことは我慢して、周りを幸せにすれば、自分も満たされるだろうと。

それでは、満たされないのにね。そんな、無謀なことをやっていました。
20105月までブログ記事を全く書いていません。

5月にiPad初代を発売日に手に入れて、ブログ再開。(今読むと、せめて記事タイトルを、、見出し入れようよ、となる)自分以外の誰かが、自分の記事を読んでくれる可能性を全く知らなかったのです。

自分の文章がインターネットにあることで満足して、喜んでいました。

ビジネス書を初めて読んだのも、この年。

iPhone3GSの後も併売されてお値段が落ちたiPhone3Gを購入して、WiFi運用(WiFi運用なのに、ソフ●バンクのパケットが発生して課金されるという香しい時代でした)でしたが、iPhone 4を購入

この頃はWindowsマシンを使っていました。でも、ほとんどブログに書いてません。(何しているんだか、、)

ターニングポイントになる保育園の挨拶の記事を12月の年末にアップしています。当時は、せっかく苦労して書いたのだから、とりあえずブログにアップしておけば、、ぐらいでした。

この記事で、「全く知らない人も、自分の記事を読んでくれる」可能性に、2012年に気づきます。

会社員の仕事のストレスが極度に。眠れないから夜にブログを書き、ウィスキーをロックで飲む。年末には、寝ていても仕事の夢で起きる。早朝に起きてしまうという状態になっていました。

この頃は、仕事で結果を出せば、自分の価値を認めてもらえるのでは、、と、その裏には、「素の自分には価値がない」という恐怖からのエネルギーで動いていました。

そんなエネルギーで、ランニングも10キロとかしていました。無茶しすぎだよ自分。恐怖エネルギーで動き続けたことで、大問題が発生します。
2011実は、心身共に限界に達していて、限界なのに、それを感じず「まだまだいける」と無理をしていた年です。

年始から体調不調で、住んでいた近くの内科の先生に「風邪ですか」と診察を受けると、「風邪じゃない、このままだと鬱病になるよ」「気分が辛いなら、薬だそうか。肩こりにも処方する安全な薬だから」とデパスを手にしたのも2011年。

処方されても、飲まずに済ましていましたが、3月11日の地震のニュースから、不安の気持ちが決壊。どうしようもない不安に襲われて、デパスに手を出しました。すると、スッーと、「今ままでなんだったんだ」と不安のない世界に。

職場でも、強い不安を感じた時に、デパスを服用し始めてしまいました。(後述しますが、私の双極性障害に対しては、デパスは相性が悪く、危険な状態へ突き進むことになります)

そんな中でも、不安な気持ちから「自分のできることを増やそう」と、CSSを独学でなんとか学ぼうとしてた頃。

こちらの記事では、「がんばっていつか東プレのキーボー
ドを購入したいです」と書いています。2019年の今は、東プレのキーボードを使っていて、感慨深く「東プレのキーボードとHHKBを合計10枚持って、仕事する未来があるから心配不要だよ」と、この記事を書いている自分に言ってあげたいです。

2011年の正月は、大阪で過ごしたのですが、年末に高校からの友人と飲んだ時に「明らかにおかしい、弾丸のように話し続ける」と、後から教えてもらいました。

そう、会社員の過労から双極性障害が発症していました。

早朝覚醒がひどくなっていましたが、病だと思っていませんから「朝早くに起きれてラッキー」と仕事を自宅で進めていました。(VPNで会社のサーバーと自宅は接続済で、自宅でも仕事をスムースに行える環境を構築していた)

ゴールデンウィークに「どうもおかしい」と、大阪から来た両親が、私を大阪の実家へ収容。その後、診察で即「就労禁止」診断となりました。

精神科と書かれた診察室に入る時のショック。自分の人生終わったと感じました。

「デパスかー、デパスは、、、デパスはあかんのよ」と。

この主治医の先生と出会えたのも、私にとってはラッキーでした。薬は最低限の治療を試みてくれたのです。

2011年は、今振り返ると、前半は「危険領域の躁状態」そして後半は「動けないほど辛い鬱状態」でした。5月以降は、病院しか行かない生活。

(ひどい時は週に5日病院へ、つまりずっと通院していた。後日談で、本当は入院が必要な症状だったそうです。でも、両親が24時間監視するという約束で通院治療としてもらえました。本当に両親に感謝です。入院していたら、自暴自棄になっていた。それでなくても、双極性障害の診察で、一生治らない病気になって、キャリア的には終わったと自暴自棄になっていた。)

躁状態の勢いで、MacBookProが欲しいと父親に駄々をこねて、MacBookPro13インチ 2011のフルスペックを買ってもらいます。Macを本格的に使い始めた年。レッツノートにするか、Macにするか、迷ったのですが、Macを選んだのが、後々、吉と出ます。

ブログは、意外なことに記事自体は、継続してアップしています。ただし、写真のだけの記事ばかり。

つまり、文章を書ける状態じゃなかった。本を読もうにも、活字を見たら活字が迫ってくる感覚で、まともに本が読めなかった。そして、手書きだと、副作用で手が震えて文字が書けなくなっていた。

「知的生産ができない」ショックでした。本当に辛かった。単純作業が苦手で、自分の性分に合わないのは、今までの35年の人生で知っていました。

例えば、交通量調査のバイトを学生で経験しました。苦痛でした。数えながら、これ自動化できないの?を考え始めてしまう。

そんなタイプなので、知的生産ができないことは、ある意味、死と同等。単純作業の仕事しかできない人生を想像してしまい、これからの生き方の選択肢が消えたと感じていました。

そんな中、写真だけでも、ブログにアップし続けたのは、最後の砦だったんです。自分の表現を世の中に出せているという、最後の一線でした。誰も見ていなくても、つながりがあるかもしれないと。

2011年の記事リストはこちら

正直、2011年は、ほとんど覚えていません。躁状態で暴走しているか、鬱で動けなくなっているか。

覚えているのは、時間がなかなか進まないと、焦っていました。やることが無くて、時間が過ぎてくれれば、、と。

5分の針が、進まない感覚だけ、記憶に残っています。

そういえば、2011年は、auの端末で初めて登場したスマートフォンのHTC EVO WiMAX ISW11HT を手にしました。

が、

スマートフォンとしては、なかなか悲惨でした。電話が着信して話そうとするとフリーズするのは当たり前。

操作しようにも、反応が遅くて、使い物にならない。電池も持たないので、はじめから2個付属していて、電池交換前提の設計(涙

ただ、WiMAXの回線も使えて、テザリングできるのが、当時では破格のコスパ良しのプランで使えたので、スマートフォンとしてでなく、回線のモバイルWiFiとして使えました。

もう一つ余談ですが、

サラリーマン時代は、ATMの操作をしない生活でした。

お金は、全部家族が管理していたので。

で、大阪に帰ってきてから、銀行のATMの前で、呆然としている自分に気づきました。使い方、わからない!からです。
20122011年からの治療で、不安定なんですが、だいぶ落ち着いてきたのが2012年です。担当の医師も、薬は最低限しか出さない先生なのが、ラッキーでした。

認知行動療法と漢方薬の併用で治療を継続していました。

年明けに見た映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬 」には、本当に助けられました。この映画を見ているときは、全てを忘れて、映画を楽しめたからです。

3月に、学んだ認知療法を自宅で実践し頭の回路が切り替わる衝撃を体験しちゃいます。

春過ぎに、手放せなかった睡眠導入剤を飲まない選択に切り替えます。(不眠でしたが、4日寝なければ、きっと寝ることができるだろうと。主治医に相談したら「睡眠導入剤をやめる?OKいいよっ」と軽く許可をもらえました)

睡眠導入剤をやめて、同時に、お酒を断ちます。これが大切だったなぁと。

4月に、ブログのサーバーを引っ越しているようなのですが、どのサーバーからどのサーバーに引っ越したのか、全く記事に書いていません(笑)

Gmailの過去ログを探ったら、ロリポップを使い出した様子。

7月に、ブログの保育園の記事に、1日50PVもアクセスがあることに気づきます。「全く知らない人も、役にたつ記事を書くと読んでくれる。そして、それを広告収入にする仕組みがある」を知ります。

気づくと、それに必要な情報へのアンテナ感度が上がります。

本屋さんで、俗に言われる「ブログ 白本」を見つけます。

そのため、2012年7月以降の記事は、書き方がガラッと変わります。(書き方を変えた1つ目の記事 情報発信を心がけています。荒削りで読みにくい文章ですけど。)

同時に、7月にサーバーをSixcoreへ変更。

一大決心でした。毎月1,800円の出費。背水の陣でした。

その結果、9月にgoogle アドセンスの管理画面に、初めての収益が表示されます。

缶コーヒー1本より少ない金額でしたが、「自分の力で稼げたお金」として、人生で一番お金を感じた瞬間でした。


後、ブログ凄いなぁと感じたのが、IBMのX40の記事を書いていたことで、労災申請の担当官さんとコミュニケーションが円滑になったのです。(私のブログ記事を偶然見つけたらしい)

お医者さんと弁護士さんとしか会わない生活で、誰かと話すのが怖いと感じていました。コミュニケーションができるように、社会復帰のために、(ブログには全く書いていませんが、)英会話学校に行き始めました。(英会話学校だと、話せないことが当たり前で、日本語のコミュニケーションも最低限で済むから、ちょうど良いはずと、母親が提案してたのです。)これがよかったです。翌年2013年に、どんどん外の世界へ飛び出していくのですが、その予行演習になりました。

2012年11月28日 親指シフトを習得するために「Happy Hacking Keyboard Professional JP Type-S 」をポチッと買っちゃいます。清水の舞台から飛び降りました。

全てを親指シフトに切り替えたため、12月はブログのアウトプット量が急激に減っています。でも、ここで親指シフトに挑戦したことで、人生の風向きが変わっていきます。

もちろん、当時の自分はそれに全く気づいていません。このままでは、どうしようもない人生、、と、焦っていました。

双極性障害の自分は、マイナス。頑張っても世間的には、ゼロ。なんて虚しいんだろうと、他の人と自分を比べてばかりの日々でした。

比べている限り、辛いのに、比べちゃっていました。

そんな中、親指シフトをマスターすることを目標にしたのは、自分との競争だったので、少しだけ救われました。

2012年の記事リストはこちら。

2012年夏に、auの回線からdocomoの回線へ切り替えました。auだったらiPhoneの選択肢もあったのですが、auのiPhoneプランが高くて。

docomoがそんな中、お得なキャンペーンを乱発していました。
F-04Dとデータ通信L-09Cのセット契約がお得だったので。

L-09CはWiFiが切れる不具合の多い機械でした。

ドコモの2012年の機種ラインナップを今見ると、まさに迷走ですな。

WiFi運用で、iPhone 4sを使い始めます。そして、秋からは、なぜかdocomoのsimでiPhone 4sを使えるように(下駄を使いました)
2013綱渡りで、社会復帰へ大量活動をスタートした年でした。

今振り返ると、本当にギリギリのタイミングで綱渡り状態で、よく頑張ったなぁと。そして、主治医の先生、漢方の先生も、それを容認してくれていたのだなぁと。

感謝です。

親指シフトをなんとか習得できつつあったのですが、手が大きくて、タイピングしにくい、、。

これを解決するために、右手をずらすorzレイアウトが生まれました

orzレイアウトを完成形に進める中で、SNSで塩澤さんと繋がったのは、嬉しい出来事でした。

3月、ドキドキしながら、大阪で開催されたイベントに参加し、これをきっかけに、関西のブロガーさんと繋がりを得ます。

竹蔵さんのオフ会に参加できたことが、人生のターニングポイントでした。

「人生を変えるためにどんなことしたのですか?」とよく聞かれます。

人生を変えるポイントを聞かれている皆さんは、派手な何か成果やイベントを想像されているのを感じます。

でもね、そうじゃないんですよ。

その時、リアルタイムでは、自分自身、それが人生の転機だと、気づいていないじゃなのかなと。

導かれるように、出会いを得ました。

どんぴさんとの出会いは凄かった。舞鶴ツアーは一生の思い出です。

ブロガーさんと出会って、気づいたことがありました。

「この人たちは、全員 目の輝きが素晴らしい」

こんな風に目を輝かして、自分も生きていけたら、幸せだろうなと。

この後は、あれよあれよと、色々なイベントへ参加しました。広島へ、東京へ。

イベントに参加する時に、ライトニングトークという5分のミニプレゼンの枠が、参加メンバーに募集されている時は、積極的に手をあげました。

おかげで、どんどん自分を知ってもらえました。大阪のイベントでは「親指シフトでブログ書いています」にたくさんの反響があってビックリでした。

とにかく、限られたお金で、できる限りのことをやっていたので、東京に行くのに、18きっぷを使う、宿泊はネットカフェで1泊2230円渋谷の駅前でブログ書いてたり、そんな生活でした。

そして、機会があれば「親指シフト 最高」と叫んでいました。

イベントで目立つためにキーボードをぶら下げたり

こんな記事も書いています。

プレゼンテーションで緊張して上手くできない。半年間に8回ライトニングトークをして分かったこと

6月には、立花さんの「人生を劇的に変える!超実践2daysワークショップ」に、清水の舞台からダイブする感覚で、参加しました。

(なお、参加費を支払う余裕は自分に無く、母親に「鳥取で失った10年を取り返すために、10万貸して!」と駄々をこねて、母親もそんなに余裕がない中、無理やり10万円を用意してもらいました。(そして、まだ、この10万円は返していなかったりする、違う形で感謝は伝えたけど、まだ返していない-重要なので2回書きました-)ATMから10万円を振り込む時の、お札を数える音を今でもしっかり覚えています。

このワークショップに参加した時のことを、立花さんに後日談で聞いたら、「悲壮感を超えた悲惨な雰囲気で、どうしようか、、と絶句した」という雰囲気だった様子。

よく、このワークショップで人生変わったのですか?と聞かれます。

ある意味 YESで、ある意味 NOです。

ワークショップを受けて満足していたら、人生変わらなかった、そう思います。

もちろん、立花さんのワークショップは、素晴らしかった。

得るモノたくさんありました。でも、それだけでなく「自分自身で、どうしたら良いか、受講後も探し続けた。その探し始めるきっかけとしてワークショップは素晴らしかった」のです。

このワークショップからのご縁で、株式会社あみだすを共同経営する梅村さゆりさんと出会えました。

そんな感じなので、人生が変わる、ターニングポイントは、その瞬間で「おおおおおっ」となるのじゃないのです。

だんだん、徐々に、人生の進むベクトルが、ちょっとずつ変化していくのです。

その積み重ねで、大きく変わるのです。

2013年は、自分が双極性障害であることを、ブログで公表もしました。ドキドキしましたが、オープンにしたことで、色々な方とコミュニケーションをいただけました。

当時の自己紹介

https://www.youtube.com/watch?v=ifi1X-MFIeA

こっちはノーカット版(長いです)

https://www.youtube.com/watch?v=RVI6w-b3YN0

親指シフトのタイピングも、動画にアップしました。

https://www.youtube.com/watch?v=a1vYgAgPN44

今見たら、すごい回数の再生。ありがとうございます。この動画を見て、塩澤さんからアドバイスをもらえて、情報は発信する人に集まるを痛感しました。


そういえば、6月に、マレーシアに旅行へ行きました。このコンディションの中、よく行ったよなぁと。本当にギリギリの綱渡りでした。

マレーシアの旅行は、楽しかったです。ただ、LCCの飛行機はめっちゃ寒くて(6月に南の方向へ行くから、上着を持っていなかった)凍えるかと思いました。(今みたいにお腹が出ていない、これぐらいの体重に戻そう)

8月には、親指シフトの発信を続けたことで、
”orzレイアウト の革新性” Mac people に掲載されました。

9月は、iPhone 5s の発売日に、Apple 心斎橋に並びまして、ヘロヘロになりながら、新しいiPhoneに感動しました。

10月には、ブロガーズ フェスティバル 2013 に、撮影スタッフとして参加できました。この時に撮影した乾杯の写真は、いい感じに撮れて、嬉しい1枚でした。

あと、10月には、「人生を劇的に変えるワークショップ 東京1期 半年シェア会」に参加しています。これが、今振り返ると、インパクト大きな出来事でしたが、これに触れた記事が無いのです。

ぽっかりと。当日、体調が最悪で、本当にツライ、頭痛ガンガンのコンディションでした。

そのために、記事を書けなかったんだなぁと。

この頃は、毎月東京に行っていますが、治療薬も減ったとはいえ、まだまだ、必要でした。

ギリギリのコンディションで、行き来きしていました。当時は「ここまで治ったから大丈夫」と判断していましたが、振り返ると、ギリギリの薄凍を歩いていたなぁと。

11月には、双極性障害の治療薬の服用量をグッと減らすことに成功しています。(この時点では、薬とは一生のお付き合いだと思っていました)

北九州フェリーで遠征したり。

振り返ると4月から毎月のように、東京へ行っています。往復の費用を節約するためにLCCを利用して。

充実しているように見えて、もう、必死なんです。心の中は、不安でいっぱい。

なんとかして、世間並みと同じように、活動したい。2011年や2012年の治療だけの生活は嫌で、どうすれば、人生を再起できるか?に、ブログでの活動で、なんとかできないか?と模索していました。

2013年は1,500記事のブログを書きました。アウトプット量も凄かったのですが、実は、焦っていました。

どうしても、アクセス数(PV)を指標にしちゃうわけですよ。

そのアクセス数が、全く増えないのです。減らないだけでも凄いハズなんですが、増えないのです。

なので、めっちゃ焦っていました。こんなに書いても上がらないと。

実際には、結構読まれている記事もあったし、この後、ブログの多いアクセスの記事は、ほとんど、2013年に書いた記事になるのですが。

検索の評価は、タイムラグがあるのを理解できていませんでした。

ブログ記事に書いてませんが、「ブログのトラブルを解決できないか」という相談が増えたのも、この2013年でした。

おかげで、どんどん経験値を増やしていくことができました。

年末には、「親指シフトを習得したい、指導してほしい」という相談も頂きました。そう、2013年の活動が、この後にどんどん、花開いていきます。

もう一つ、イベントで、お酒を飲まない(2012年から断酒している)のが、めっちゃ良かったのです。

みんな、お酒のおかげ?でしょうか、饒舌になって、ブログのアクセスアップのノウハウや、運営ノウハウ、そして、検索や本では知ることができない悩みなどを、どんどん教えてもらい、吸収できました。

ただ、2013年の自分は、実は、必死で、イベントの飲み会でも、必死で話していました。「しっかり話ができないと、自分はだめだ」という恐怖感に駆られて。

だから、実は、2013年、あんまり覚えていないですよ。とにかく走り続けていました。ある意味、軽い躁状態で、危険な綱渡りをしていました。

あと、ネットカフェに4連泊した時は、さすがに「これは限界だ」を感じました(苦笑)3連泊までは大丈夫だったんですけど。そこで、だんだん、カプセルホテルを利用するようになります。この頃は、渋谷のカプセルホテルでした。

2013年については、単独でまとめている記事がありますので、そちらをどうぞ。
(全12回と書いているのに、途中で力尽きてますね、、苦笑)

【ものくろな2013年総括】ものくろが自信を持ってお勧めするエントリー集(第1回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第2回】Orzレイアウト誕生!初めてのオフ会に....(第2回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第3回】(第3回/全12回)ちょっとしたきっかけで人生のチャンスはやって来る。出会いに感謝。そんな3月28日。
【ものくろな2013年総括 第4回】東京・名古屋など6つのセミナーに参加し、ブログのデザインを見つめ直した月でした。(第4回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第5回】双極性障害を宣言、転機を得たセミナー参加、そして”ものくろぼっくす”へ(第5回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第6回】人生を劇的に変えられる?ただただ飲み続けるDpub8大阪、マレーシアに行っちゃった(第6回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第7回】悩んでいたんですよね。そこも文章から見える月です!(第7回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第8回】アウトプットの消化不足。東京でブロネクオフ会・ブロガーサミットに参加したよ(第8回/全12回)
【ものくろな2013年総括 第9回】iPhone 5s 22時間耐久レース。寄稿にチャレンジ、ロゴ 誕生秘話(第9回/全12回)
2014前年の2013年に蒔いた種が芽を出し始めたのが、この2014年でした。
実は、一緒にブログ勉強会(コミュニティ)運営をやらないか?という、嬉しいお声を複数かけていただけたのです。
でも、心では「私なんて、いえいえまだまだです」で、丁重にお断りしました。

たぶん、ものくろキャンプの胎動へまっしぐらに活動しているように見えていたでしょう。でも、裏では、色々と葛藤もありました。

物事を動き始めるとき、同じような道に繋がっているかも、、という複数の方向から、お誘いを受けることってありませんか?

頭で考えて、損得勘定で動くと、後から違う道へ行っちゃうのです。この時は、頭で考えずに、感情を(まだまだ足りないという不安感がほとんどでしたが)しっかり見たのが、結果的に良かった。

感情を封印して、理性や思考で考えると、自分を我慢しちゃいます。そんな状態で、共同運営すると、どんどん自分がツラくなりますから。

そんな、自分なんてまだまだ、、です。という気持ちを解放してくれたのが。

2014年の1月 東京で、前年に出会った「人生を劇的に変えるワークショップ」のメンバーさん達から、「人生を変えるために、ブログの情報発信は不可欠、でも、WordPressを自在に扱えないので、ミニ勉強会をやってくれないか?」でした。

東京開催のDPUB9に参加しGoogleでの勉強会に参加し、その流れで、勉強会を開催でき、「”自分の当たり前”がみんなにとって”役立つ!”ということを痛感」しました。

なんとなく自分の人生の流れが変わったのを感じ始めます



夏には、ブロネクとの出会いも良い経験値アップになりました。オフ会も楽しかった。
2015
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10年を振り返るとなると、記憶も曖昧です。

でも、ブログ記事を見ると、思い出します。

日記記事は、検索アクセスに寄与しない。情報のある記事が大切。それもわかります。

でも、10年を振り返りするのも、素敵です。私は日記記事を書いててよかったと痛感です。2015年から後半は日記記事の頻度が保てなくなっています。

でも、ポイントポイントは、書いてある。これがとてもイイです。

一時期、日記記事は、ブログでなく、メルマガで書こうとした時期もありました。

しかし、今回の体験から学んだのは、

「日記をブログに書いておくと、年数を積み上げたときに、素晴らしいことが起きる」

「その結果を体験するまで、長い熟成期間が必要」

「日記記事、単体に情報が無くても、それをまとめると、【人生の生き方】という大きな情報を発信できる」

です。素晴らしい。

この記事を書いた人

大東 信仁

カンパチが好きです。

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